2013/05/31

[感想文]ジム・クレイス「隔離小屋」



三行レビュー

愛と勇気と冒険の物語、ただし著者はジム・クレイス。全編を通して死の影に塗りつくされたような冒険譚であり、文明の失われた世界で浮き彫りにされる、家族という単位の物語である。

感想

舞台がよく分からない。アメリカである。川辺で見つけたという、リンカーンの刻印された1セント硬貨を主人公のマーガレット(31)がお守りとして大事にしているところを見ると、未来である。
荷車、革で作った水袋、山羊の毛皮をつなぎ合わせて作った外套。どうも人々の暮らし向きは石器時代・・・とはいかないまでも、まるで中世のようだ。

このアメリカには飢餓と貧困、そして「フラックス」と呼ばれる致死性の疫病が蔓延している。人々は東の海を船で渡り、新天地で新しい暮らしを始めることを夢想している。しかし、本当にこの文明の程度で大西洋を越えて航海できるのだろうか。そもそも、大西洋どころか川一本隔てた対岸さえ、そこがどんな土地なのか彼らは知らないのである。

主人公の男女が旅をするのはこのような世界である。
二人は死にかけている。主人公の一人フランクリンは冬を前に急がなければならない旅の途中で膝を痛め、マーガレット(31)は致死の疫病に冒され、隔離小屋に捨て置かれている。
フランクリンは雨宿りを求めて訪れた隔離小屋で、瀕死のマーガレット(31)と出会う。二人は共に東を目指すことになる。
既に瀕死であるが、旅路もまた過酷である。まともな食事はとれない、暖かい寝床もない、雨は降る、旅路にはあらゆる種類の危険が潜んでいる。すがる希望もまた曖昧で不確かなものである。しかし二人は生命力に満ちている。我慢強く、しぶとく、もてる限りの力を使って生き抜いていく。

一見するとこれは男女の恋の物語であり、冒険譚である。20代の気の小さい男と31歳の女のボーイミーツガールの物語である。しかし、本質は家族の物語ではないか。苦難を耐え忍ぶ力を人間に与えるのは、家族である。
フランクリンは年老いた母を故郷に残し、兄と共に海外への移住を目指して旅に出た。その兄とも旅の途中で別れ別れとなる。
マーガレットはフラックスに冒され、家族から離され一人隔離小屋で暮らすことになる。故郷の街はを災害に襲われ、彼女を除いた家族全員が犠牲となる。。
家族を失った二人は、それが自然であるように新しい家族になっていく。歳の差を怪しまれないために、道連れとも恋人とも言わず、あえて二人の関係を姉弟と偽るシーンは象徴的だ。

やがてあるトラブルによってマーガレットとフランクリンは離れ離れになってしまう。彼女は自分一人の力で海岸を目指すことになるが、その道程で彼女を支えたのは、彼女が抱え込むことになったベラという赤ちゃんである。擬似的な母子という関係が、フランクリンを失った彼女を支えた。

海岸では、家族に捨てられた女達が身を寄せ合って暮らしている。労働力になる男と、子供を産める若い女だけが海を越える舟に乗ることが出来たからだ。家族を捨てて海を渡った人々がどうなっているのか、知る術はない。

物語には様々な家族が登場する。大事な一人の欠けた家族、捨てられた家族、新しい家族、再生された家族。文明の失われた世界でのすべての基本は家族である。

フランクリンとマーガレットをつなぐものは言ってしまえば性愛である。ベラは二人の父性と母性によってつながれる。そして最後の家族は馬。彼らは馬を家族として扱わなかった。それは家畜であり、必要ならばいつでも屠って食糧とすることを厭わない。家族でない馬には名前が与えられない。しかし、最終的に彼らは馬に名前をつける。共に苦難を乗り越えた仲間として、家族に迎え入れる。馬と彼らをつなぐものは信頼だ。

家族とは、血縁から始まる単位につけられた名前ではなく、固く結ばれた人間関係の帰結である。


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