2013/05/15

[感想文]青木雄二「ナニワ金融道」



 天国に行く最良の方法は地獄へ行く道を熟知することである。
マキアヴェッリ

地獄へ行く道を熟知したければ、この本を読むと良いと思う。

人はいとも簡単に地獄に落ちる。
理由は様々だ。病気や怪我、恋愛の失敗、そして借金。
この本が扱う題材は、借金という地獄への道である。

闇金ウシジマくんという同じく金融業者を扱った非常に優れた作品がある。闇金ウシジマくんに登場する人々の多くは、何らかの形で社会から弾き出され、そのために満たされない自分自身の心のために借金をする。闇金ウシジマくんは、「青春」というテーマを扱った物語だと個人的には考えている。

一方、ナニワ金融道は徹底してオトナの物語である。
この作品の人々が借金をするのは金のためであり、生活のためである。社会の一員として、社会に溶け込み根を下ろして生活していたはずの人々が、些細なきっかけから膨大な負債を背負うことになり、地獄に突き落とされる。
いつでも誰でも、平穏な日常から一転地獄に突き落とされうるという現実が、この作品には描かれている。そして、それを回避するたった一つの方法が、騙されないために知恵をつけることだと、青木雄二は本作を通して語っている。

人間関係は金に換えることができる

これこそ、本作の最大のテーマであると私は思う。
資本主義が人と人との繋がりを換金可能なものにしてしまったことに対する怒りこそ、この作品の描かれた最も大きな動機なのだろう。

人間関係を金に換える方法として利用されるのは保証人という制度である。
保証人とは、債務者(金を借りた人)が借りた金を返せなくなったときに、代わりに債権者(金を貸した人)に対して返済の義務を負う人である。

債権者には、金を貸して利子を取れるというメリットがある。債務者には金を借りられるというメリットがある。保証人はどうか。
金が借りられるわけでなく、利子の分け前がもらえるわけでもない。
しかし、債務者が金を返せなくなったら、保証人が金を返さなければならない。
そんな何のメリットもない保証人になりたがる人間など、普通はありえないように思われる。なのにどうして、保証人などという仕組みが成立するのだろうか?

例えば「ナニワ金融道」1巻では、高橋正子という公務員の女性が父親が事業の運転資金として借りた300万円の保証人になり、その返済のために仕事を退職し、破産することになる。
清水という公務員の男は行きつけのスナックのママに色仕掛けで迫られ、スナックの改装費用と称した借金の保証人となり、500万円の返済義務を負う。背口という若い有望な経営者も、世話になった前職の社長に頼まれて保証人になり、その社長が夜逃げした結果、大きな借金を背負い多くのものを失うことになる。

彼らはみな家族、愛人、恩人など、保証人を頼まれて断りにくい人間関係のために保証人を引き受け、そして自分が借りたわけでもない借金を返済する立場に追い込まれる。
このようにして、人間関係は換金される。

騙しのテクニック

借金の保証人になってもらうために、情に訴えるだけが方法ではない。
甲守という男は、癒着していた市会議員から振り出した手形を差し出され、「この手形が確かに市会議員の出した手形である」ということを証明するためにサインしてくれ、と言われ、手形に自分のサインをしてしまう。
手形とは、「いつまでにいくらの額をこの手形を持っている人間に支払う」という借金の証文である。そしてこの手形にサインをすることを裏書という。
手形の裏書をすると、この手形が不渡りとなった場合、すなわちこの証文が反故となったときには、この借金を債務者に代わって弁済する義務が生じる。つまり、実質的にこの借金の保証人となってしまう。
それを知らなかった甲守は、軽い気持ちでサインをしてしまうが、結果として7000万円の借金の弁済義務を負うことになるのである。

もっと酷い話になると、軽薄企画という傾いた会社が運転資金の確保のために500万円の手形を振り出して街金から金を借りるのだが、手形を届けさせ現金を受け取った社員に、金を受け取ったという証拠のためにサインをしてくれ、と手形に裏書をさせるのである。本人はただの領収証にサインをしたつもりであったが、結果として軽薄企画は倒産、この社員は職を失ったばかりか500万の借金を背負うことになってしまう。

このように手形の裏書をするに至った経緯が明らかな詐欺であったとしても、最終的な受取人がその詐欺に関わっていると証明できなければ債権者は「善意の第三者」となり、弁済の義務は免除されないのである。

青木雄二の怒り

ゼニのカラクリがわかるマルクス経済学」という本の感想文でも触れたが、青木雄二は熱心なマルクス経済学の支持者である。私には、マルクスの唱える実態不明な共産主義なるものが、そんなに素晴らしいものであるとは考えられない。
しかしこの「ナニワ金融道」で描かれる青木雄二の怒りには、私は深く共感する。

歴史を振り返れば、人間は武器と鎖を使って他者を奴隷化し、自由や財産、労働力を奪ってきた。現代社会では、武器と鎖は金と法律に置き換わっている。だが、金と法律は武器と鎖よりはいくらか平等である。特に法律は、学ぶ機会は誰にでもあるし、それを知ってさえいれば騙されて借金の保証人にされることもない。
本作で食い物にされる多くの債務者は、法律や街金の搾取の手口を知らないために本来守れたはずの自分の権利さえ失ってしまうケースが非常に多い。まずは正しい知識を知らしめるべき、という考えがこの作品の描かれた理由のひとつであると思うし、それは大変に素晴らしい活動であると思う。

ひょっとしたら、この作品は青木雄二にとっては資本主義という病に対する対症療法でしかなかったのかもしれない。
資本主義のゆがみを劇的に正し、公正で平等な社会をもたらすという共産主義の思想に比べれば、欠陥だらけの資本主義の運用を少しでも公正に、そして共有されるべき知識を平等に、という方法は恐ろしくまわりくどく思えるかもしれない。*1
しかしそのような回りくどい苦難の道を避け、劇的に現状を打破するという幻想に取り付かれた人間が破滅する姿もまたこの作品の中に描かれているのではないか。
という部分については、少々釈然としない部分もある。

とは言え、名作だと思う。
絵柄がアレだったり中居正広主演でドラマ化されていたりいろいろと色はついているが。何冊もビジネス書の感想書いておいてあれだが、ビジネス書を何十冊と読むよりもはるかにためになる本だ。


*1: 銭の流れが止まれば破綻するしかない資本主義というシステムにおいて、保証人という制度の役割は決して小さくはない。回りくどい、という次元の問題ではないのかもしれない。

関連書の感想文はこちらです→[感想文]青木雄二「ナニワ金融道 ゼニのカラクリがわかるマルクス経済学」

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